高知県立美術館 「時の蘇生」柿の木プロジェクトin Kochi
日時 : 2001年 7月 20日~2001年 9月 16日 9時 00分 ~ 17時 00分
場所 : 高知県立美術館 第4展示室

作品について: 
この展覧会では長崎平和公園の泉、サラエボ、さらに長崎市内で撮影した映像を壁に投影しました。
映像と共に平和公園で録音した泉の音が微かに聞こえてきます。映像は現れては消え現れては消え、
それを繰り返すことによって永遠に続く時間と人類の悲劇をイメージした作品です。

内容
1.事業名 「時の蘇生」柿の木プロジェクトin Kochi
2.日時 平成13年7月20日(金)~9月16日(日) 午前9時~午後5時
会場中の毎週金曜日は、午後8時まで(入場は7時30分)
3.会 場 高知県立美術館 第4展示室
4.入場 無料
5.内容 「時の蘇生」柿の木プロジェクトは、長崎で被爆した柿の木から苗木を作り、
子ども達に平和のシンボルとして配る樹木医・海老沼正幸氏の活動をアー ト
として支援しようと美術家・宮島達男氏が始めた非営利ユニット(「時の蘇
生」柿の木プロジェクト実行委員会)のアートプログラムです。このプロジェ
クトは、被爆柿の木2世の苗木に出会った人々が柿の木に触れ、感じ、起こし
た行動をすべてアートとして提示し、苗木の植樹は世界14カ国49カ所で行
われています。

2002年2月、四国で初めて被爆柿の木2世の苗木を当館に隣接する緑地
に植樹することになりました。本展では、植樹に先立ち、これまでのプロジェ
クトの活動の紹介とともに、間伐材を利用した板へ当館にゆかりのあるアーテ
ィストにプロジェクトへのメッセージを表現していただきた作品96点の展示

(【コネ・コレ】)、高知在住の写真家・吉岡悟氏による長崎の原爆投下地点を
中心とした現在の街の風景や、内戦が続いた旧ユーゴスラビア・サラエボの風
景などを撮した作品を用いたイメージプロジェクトを行います。
また、来場者参加型の展示、ワークショップ、トークを行い、当館を起点と
して柿の木に携わる人々の輪を一層広げていきたいと思います。




7. 20 - 31 "somewhere : vol. 1"
8 .1 - 12 "somewhere : vol.2"
8 .14 - 31 "somewhere: Sarajevo"
9 .1 - 16 "somewhere: vol. 1 or 2"
..................................................................................................................

"2000年の夏にサラエボ、ボスニアヘルツゴビナを訪れた。サラエボ
へは国連高等難民弁務官事務所で働く友人の招きだった。

私は報道カメラマンではない、しかしそのタイトルを持って国連と書かれた白い
車に乗り、何がおこっても国連には責任はないという誓約書にサインをし、
サラエボ近郊の難民キャンプを訪れた。

サラエボ市内では人にカメラを向けることが苦手な私は朝から晩まで戦争で
壊された建物などに向かってシャッターを切り続けた。

友人から地雷があるかもしれないので舗装されていない場所には
立ち入らないように、それから壊された建物などにはまだ爆薬などが
仕掛けられているかもしれないので気をつけるように言われた。

私が訪れる2週間前に子供が2人地雷を踏んで亡くなっていた。

戦争中、報道カメラマン達はサラエボの真ん中を流れている川に架かる橋
のたもとで一般市民が狙撃されるのを撮影するために待っていたと聞いた。

私にはできないと思ったが、滞在中国連の友人に大量殺戮があ った場所
へ連れて行ってほしいと頼んでいる自分があった。

ある夕方、町中で難民キャンプへ連れて行ってくれた国連の人とばったり
出会った。その彼が言うのには、この町で一番壊されているものは、建物
ではなくここに暮らす人々であると。

経済が破綻し仕事も夢も持てない多くの人々が一杯のコーヒーを飲み朝
から晩までカフェで時間をつぶしているのだと。

勇気を持って町行く人々にカメラを向け始めたのがパリに帰る前の晩だった。
50年前に作られた二眼レフカメラをだんだん夕暮れが迫ってくるサラエボそこ
に暮らす人々に向けシャッターを押し始めた。

次の日、荷物を背負いオーストリア大使館の前に列をなしている大勢のビザ
申請のための人々の前を通り過ぎた時、自分が自由にサラエボを離れられる
幸福と、そしてこの町に残される人々の苦悩を肌で感じながら空港へ向かった。

夜9時過ぎにパリに到着した。けれども荷物はどこかアフリカへ間違えて送られて
しまいカメラとパスポートしかない状態になった。

だが、多くの人種が住むパリがとても平和に感じられ荷物のことなどまったく
気にならなかった。そして、ふと、もしパリの地下鉄で今日誰かに刺されても
たぶん死なないだろうなと漠然と思った。"

吉岡悟